ひと目ひと目を味わって。

夏至も越えればそこからは、
 徐々に徐々に日は短くなって、
 やがて、街ゆく人の影と、洋服の袖だけがすこしずつ伸びていきます。

「秋」は、まるで1年の「夕方」のよう。
 どこもかしこも、燃えるように濃く美しい色合いにじんわりと染まり、
 だけど、暮れていくさみしさに、 なんだか少しだけ心許なくもなります。

そうして、ほっとするような心地を求めて、 
わたしたちはニットが恋しくなるのでしょうか。

そんなニットのやさしい手触りの編地に、 
「どれどれ」と、よーく目をこらせば、
 糸と糸の交わりだけがいくつもいくつも集まり、おりなされているのだと、
 改めて積み重ねの美しさと尊さを思います。

1段1段で布地をつくり上げていく織物よりも、
 さらに細かい、ひと目ひと目という単位で編み上げられるニット。
 「糸の目」からデザインを発想し、洋服へと仕立てていく。
 今回は、そんなあたたかで繊細なものづくりのお話です。

編みはじめの目をつくることを、 
「目を立てる」といいます。
 1本の糸のループの連続が一枚の生地になりますが、
 そのひとつ目のループをつくり、目を立てるところから、
 編み物ははじまります。

太い糸、細い糸、どんな素材を選ぶかで、印象は大きく変わります。
 そして、編み上げるひと目ひと目は、 
ループの「おもて」を見せるか「うら」を見せるのか。
 それらをどう配置するのかで、まるで表情が変わります。
 重ねて編んだり、目を移動させたりすることで、さらに「動き」ができる。
 その動きが模様になり、模様が集まり、絵柄となっていきます。
 ひとつひとつの選び方で、当然、手触り、肌触りにも違いが出るのです。

天竺編み、ガーター編み、ケーブル編み...... 
それはそれは多くの編み方がありますが、
甘く編んだり、詰めて編むことでも、その風合いもずいぶんと変わります。
 さらにそれらを組み合わせることもできるのですから、 ニットの表現は、本当に無限大なのです。

だからこそ、特殊な技法を使って、より複雑に、より難解に、見事な編地を完成させることも叶います。 
だけどニットの洋服をつくるとき、 
いくつもいくつもこしらえたサンプルの編み地を並べながら、
わたしたちは、
「できるだけ、シンプルに」
「なるべく、自然に」
 を、いつも心がけています。

それが、日本の美のやさしさや、やわらかな味わい、素朴なテクスチャを届ける 
「パラスパレス」ならではの、おりなし方だと考えているからです。
 シンプルなのに、味わいがあって、たのしい。
 そんな、あたたかなニットをお届けしたいのだと思います。

日本語はおもしろくて、注意してよくよく見ることも、
「目を立てる」といいます。

いつかニットを、よくよくまじまじと注意深く見つめてみてください。
「すべて、1本の糸からはじまっているのかあ」 なんて、想像をしながら。

あるところは縦と横にびっしりと目が詰まって、
またあるところは交差し、そしてあるところにそのしわ寄せが集まって、 
生まれた穴が「すかし」になっていたり。

その柄の成り立ちが浮かび上がって見えてくると、
とっても愉快な気持ちになります。
そんなひと目ひと目が集まったニットに身を包むと、今度はとてもとても贅沢な気持ちになることと思います。

そういえば、
なんだかツイている、幸運がめぐってくることを、 
「目が立つ」ともいうそうです。
なんだかさみしい秋も、
 たとえばレザーのジャケットに合わせて、
 1本の糸で目を立てるところからはじまる、
 贅沢であたたかなニットをまとえば、
「なんだかいいことがありそうだなあ」 なんて、ちょっと浮かれて過ごすことができると思いませんか。
「冬」を待つだけの「秋」ではなくて、 色濃く深まるうれしい秋を、どうかじっくりと味わえますように。

(文:中前結花)